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よくあるご質問

  • 神道(しんとう)とはなんですか?

     神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念です。このためキリスト教のキリストのような開祖はいませんし、「聖書」のような教典もありませんが、『古事記』(我が国最古の歴史書であり、稗田阿礼(ひえだのあれ)が天武天皇の勅命により誦習(しょうしゅう)した帝紀(ていき)と旧辞(きゅうじ)を太安万侶(おおのやすまろ)が元明天皇の勅(みことのり)により撰録して和同五年(七一二)に献進。上巻は神代、中巻は神武天皇から応神天皇、下巻は人徳天皇から推古天皇までとなっている)や『日本書紀』(元成天皇の養老四年(七二〇)に舎人親王(とねりしんのう)等の撰録により成立した史書。漢文で書かれ、三十巻からなる構成の内、最初の二巻が神代、以下の巻で持統天皇までの歴史を記す)、『風土記』(和同六年(七一三年)に元明天皇の勅命によって各国の産物・地名の由来・地形・伝承について各国が報告した公文書。『出雲国風土記』は完本にちかい状態で現存し、日立、播磨、豊後、肥前は部分的に残る)などにより、神道の在り方や神々のことを窺うことができます。
     日本人の生活と深い関わりのある神道は当初から宗教や宗派として認識されていたわけではなく、仏教が大陸から伝来したのち、それまでの我が国独特の慣習や信仰が御祖神(みおやがみ)の御心に従う「かむながらの道(神道)」として意識されるようになりました。神社の創立の由来はとても古く、それぞれの土地や氏族の神話的な淵源に根ざしたものです。
     日本人の民族性とも共通することですが、神道の特色の一つとして、外来の他宗教に対する寛容さを挙げることができます。神道は仏教や儒教・道教などとも習合し、中世から近世にかけてさまざまな思想的な展開が見られ、我が国の文化に大きな影響を及ぼしました。しかし、我が国独自の神観念は変らず、現在まで脈々と受け継がれています。
     さて、我々が生活する地域の氏神様を含めて、神社は全国至るところにあり、八百万(やおよろず)の神といわれるほど多くの神々が森厳なる神社の境内の中にお鎮(しず)まりになられています。これは我々が生活を豊かに育んできた自然の中に神々の姿を感じ、畏敬の念をもって接してきたことによります。こうした自然との調和を大切にする神道は、より良い自然環境を次世代に継承させるという観点からも、今後更に重要となるのではないでしょうか。
     また、神道の特色の一つとして神々を敬い祖先を大切にする(敬神崇祖・けいしんすうそ)といった考え方があります。これは神々が他の宗教のように隔絶された御存在ではなく、我々の御祖神として深い繋がりがあることを説いたものです。自らの御先祖も丁重にお祀(まつ)りすることにより、我々を見守って戴ける神々としてお鎮まりになられるのです。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 神道でいう「罪穢」(つみけがれ)とはなんですか?

     「罪穢」とは、災厄が起こる原因と考えられている諸々の「罪」(つみ)と、神事を行うときに忌(い)み憚られる「穢」(けがれ)という二つの意味に分けて考えることができます。
     「罪」については、『延喜式』(「式」とは、古代の法典の仲でも施工のための細則を取り纏めたもので、延喜五年(九〇五)から編纂が始められたため、「延喜式」と称する。全五十巻から成り、巻一から十までは神祗に関する内容。特に巻九・十は延喜式神名帳(じんみょうちょう)とも呼ばれ、これに社名が収録されている神社は式内社として、現在も古社としての社格を誇る基準の一つと考えられている。)巻八に収められている大祓詞に「天津罪・国津罪」(あまつつみ・くにつつみ)として、二十以上に及ぶ罪が述べられています。これによると天津罪には主として農耕を妨害する行為が、国津罪には障害や不倫姦淫、他人を呪うことなどという反社会的行為が挙げられています。これらは律令が制定されるまで、具体的な罪名とされてきたことであり、この「罪」に対する代償として贖(あがな)い物を差し出すという「祓」が義務付けられていました。
     「穢」とは、「浄明正直」の言葉であらわされることとは異なるものが自らの身につく状態を指します。これらは自らの行為による「罪」と異なり、死、病など日常とは異なる諸事によって、受動的に起こる現象と考えられてきました。「穢」は神事への関与が憚られるほか、他人に災いを与えるものともされ、対処として水などによりこの「穢」を流し去る「禊」(みそぎ)がおこなわれてきました。
     一般的には、「穢」の中に「罪」が含まれるという考え方があるため、祓詞(はらいことば)のように、「罪穢」として同一に用いられることも多いようです。「禊」と「祓」とが、「禊祓」(みそぎはらい)と混同されるのもこのためです。
     神道には、キリスト教のように人が生れながら負っている「原罪」(げんざい)という考え方はありません。誰もが日常的な生活の中で犯してしまう恐れのある「罪穢」に対して、常に慎みの心を持ち、身体を清浄な状態に保つために「禊祓」をおこなうことこそが、その基本的な考え方といえます。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 伊勢の神宮と全国の神社とはどういう関係ですか?

     伊勢の神宮は一般的には「お伊勢さま」「大神宮さま」と呼ばれていますが、正式には「神宮」と称し、我々日本人の心のふるさととして古くから親しまれて参りました。
     「伊勢の神宮」とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)より高天原の統治を任された神であり、皇室の祖神である。日の大神として仰がれ、伊勢の神宮をはじめ、全国の神明社などにお祀りされている。)を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう・内宮)と豊受大御神(とようけのおおみかみ・第二十一代雄略天皇の御代、天照大御神が天皇に、自らの御饌(みけ)を奉る神として丹波国(現在の京都府と兵庫県の一部)から迎えた神)を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう・外宮)の両宮をはじめとして、別宮・摂社・末社・所管社合わせて百二十五社を総称していいます。その中でも内宮の御祭神である天照大御神は皇室の御祖神(みおやがみ)として貴い御存在であるとともに、常に我々国民をお守りくださっている日本の総氏神様であり、全国で約八万社ある神社の中でもその根本となるとなるお社です。しかし神社の場合、寺院などに見られるような本山末寺といった上下の地位を表す関係はありません。
     神道の祝詞の中で古い形態をのこす「大祓詞」(おおはらいことば・六・十二月の大祓祭をおこなうとき神職が奉上する詞。その昔中臣氏がこの詞を宣読していたことから「中臣祓」(なかとみはらい)とも呼ばれている)の内容は、八百万の神々が集まり、話し合いを重ねた結果、皇孫(こうそん・皇室の祖先である天照大御神の子孫のこと。特には天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のことをいうが、一般的にはその子孫である歴代天皇のことをいう。)に豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国(日本の国)を安らかな国として治めるようにと御委任なされたことが記され、天孫降臨(天照大御神の命を受けた皇孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、多くの神を随え、高天原から日向の高千穂峯に天降られたこと。)に際して国つ神である大国主命(酷薄な兄神たちに足蹴にされ、また、須佐之男命(すさおのみこと)にさまざまな試練を課されるが克服。須佐之男命の娘、須勢理毘売(すせりびめ)を妻とし、その助力を得て葦原中国(あしはらのなかつくに・日本)を開いた)が天照大御神の御子孫に国を譲り渡したように、多くの神々との関係においても、それぞれの神々の立場が尊重され、話し合いの精神を以て諸事が決せられていたことが分かります。こうした考え方は現在の私達にも受け継がれている我が国の美風ともいうべきことです。
     この神々の関係は神社についても同様にいえることで、現在、全国の神社の多くは神社本庁(伊勢の神宮を本宗と仰ぎ、全国の大多数に及ぶ約八万社の神社を包括する団体。)のもと、各神社ごとにそれぞれの神を祀り、お祭りが厳粛におこなわれるようにつとめており、神社界全体としては伊勢の神宮をはじめ、全国の神社の振興を図るための諸活動がなされています。このことからも、伊勢の神宮を格別なる御存在として神社本庁が特に本宗(ほんそう・伊勢の神宮が皇祖天照大御神をお祀りし、ほかの神社と比べて格別なる御存在であることを示す総称のこと)と仰いでいるのは、全国神社の総意に基づくことといえます。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 皇室と神社のお祭りはどういう関係ですか?

     天皇陛下は日本国の象徴としてさまざまな御公務をおこなわれていらっしゃいますが、その中でもわが国始まって以来続けられてきた最も大切なお務めは神々のお祀り(皇室祭祀)をおこなうことです。
     皇室祭祀の起源は『日本書紀』の中にあるように、天孫の葦原中津国への降臨に際して、皇祖天照大御神が自らの御魂をこめた宝鏡(八咫鏡<やたのかがみ>)を授けて、祀るように命じた神勅によるものといわれています。その後、八咫鏡は伊勢の神宮の御神体としてお祀りされ、またその写しの宝鏡が宮中でもお祀りされました。このため現在においても、皇室と最も縁深い格別なる神社は伊勢の神宮であり、宮中では宝鏡をお祀りする賢所をはじめ、歴代の天皇・皇后・皇族を祀る皇霊殿、八百万の神々を祀る神殿からなる宮中三殿において、天皇陛下御自らによりお祭りがおこなわれています。
     陛下が宮中三殿のお祭りでおこなう御祈願の内容は、お詠みになられたお歌(御製)からも拝察することができますが、我が国の発展と、国民の幸福、五穀豊穣、世界各国の平和といった天下万民のための公の祈りであり、天照大御神をはじめとする神々の御心をそのままにお受け継ぎになられているということができます。陛下のこうしたお手振りを拝して、全国各地の神社では祈年祭(毎年2月十七日に五穀豊穣と国家安泰を神々に祈る祭り)や新嘗祭(にいなめさい・毎年十一月二十三日に、天皇陛下がその年の新穀を神々に御親供なされること。)など毎年恒例のお祭りが厳粛に執りおこなわれております。
     このことは皇室と関わりが特に深い戦前の旧官国弊社(かんぺいたいしゃ・神社名に関する語)といった神社のみならず、各町村の氏神様に至るまで同様に、陛下の我が国の神々に対する御敬神の念を仰ぎ、この精神をもととしてお祭りがおこなわれていることにおいて、皇室の祭祀と全国の神社とは深い結びつきにあるということができます。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 神宮大麻(じんぐうたいま)とはなんですか?

     年末年始に氏神様から戴くお神札(ふだ)には、氏神様のお神札のほかに伊勢の神宮のお神札である神宮大麻(じんぐうたいま)があります。
     伊勢の神宮は、皇室の大御祖神(おおみおやがみ・)である皇祖(皇室の祖先である天照大御神のこと。または天照大御神より初代神武天皇までの代々を示す語としても用いられる)天照大御神(あまてらすおおみかみ・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)より高天原の統治を任された神であり、皇室の祖神である。日の大神として仰がれ、伊勢の神宮をはじめ、全国の神明社などにお祀りされている。)をお祀りする神社です。
     氏神様がその地域をお守りになっている神様であるなら、神宮は日本全国をお守り下さっている総氏神様であるわけです。ですから、例えば氏神様が神明社で天照大御神を御祭神としていても、神宮大麻は、皇祖神であり全国の総氏神様である神宮のお神札として、氏神様のお神札とともにお祀りするのです。
     神宮大麻の起源は平安時代末に遡ることができます。元来、神宮は私幣禁断(個人的な祈願を受けない)の神社でしたが、諸国を巡った御師(おし・おんし・広く崇敬を集める神社や寺院に所属して、各地からの崇敬者の参詣の道案内や、祈禱・宿泊などの世話をおこなった下級祠官のことをいう。御師とは「御祈禱師」の略語ともされ、神社では伊勢の神宮の御師、熊野の御師などが有名。特に神官の場合、江戸時代までは御師自らが全国の崇敬者を廻って大麻・暦を頒布し、一般庶民に対する伊勢信仰の浸透に大きな影響を及ぼした。)の活躍もあって、広く一般の崇敬を集め、大麻の頒布も全国的に広がっていきました。明治以降は皇祖神の大御恵(おおみめぐみ)を戴くための大御璽(おおみしるし・神宮大麻の意義として説かれることであり、字義の通り御祖神である天照大御神の畏き御璽(みしるし)を示す語。神宮大麻には歴史的は御祓大麻としての意義など諸説があり、明治時代から神宮大麻が公的な制度により全国頒布されるにあたり、改めて大御璽としての意義付けがされた。)として頒布されてきました。
     また、大麻という名称は、神社でお祓いを受ける際に用いられる大麻(おおぬさ)からきたものであり、大麻を頒布した御師の間でも「御祓」(おはらい)や「お祓さん」といった通称が用いられていたことなどから、御神前に進む際の参拝者の清浄なる心持ちを表したことと考えられています。
     毎年、重ねて御神威の発揚を願うためにも、新年には氏神様のお神札とともに、神宮大麻も新たに戴いてお祀りしましょう。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 毎年暮れになるとお神札を新しく替えるのはなぜですか?

     新しい年を迎えるにあたり、神棚をきれいに清掃して、新たに神社から受けたお神札を神棚にお祀りします。
     神社から受けるお神札には、伊勢の神宮のお神札である神宮大麻(じんぐうたいま・伊勢の神宮のお神札のこと)、氏神様のお神札、台所にお祀りする竈神様のお神札などがあります。年の区切りにあたるこの時期に、神社から新しいお神札を受けることにより、御神霊の力、恩頼(みたまのふゆ)を戴き、新しい年も家内が無事であるように祈念し、お祀りします。
     今ままでお祀りしていた古いお神札は、過去の1年が無事過ごせたことを感謝し、神社にお札参りをして納めます。このお神札は神社でお焚き上げされます。このお焚き上げを地域によっては、左義長(さぎちょう)やどんど焼きと称しています。
     我が国には古来、親から子、子から孫へと、脈々と続く生命の繋がりを尊び、これを発展的に未来へ受け継ぐという考え方があります。こうしたことは、例えば伊勢の神宮でも、二十年ごとに社殿を造り替え、大神様に新しいお社にお遷り戴く式年遷宮(しきねんせんぐう・一定の期間を定めて神社の社殿を新たに設けて、旧殿より新殿に御神霊にお遷り戴くこと。伊勢の神宮の式年遷宮がよく知られており、二十年の期間を定めておこなわれている。)が、古来連綿とおこなわれていますし、そのほかの神社でも社殿を新造することにより、さらなる御神威の発揚が図られてきました。
     私たちが毎年、神棚のお神札を新しくするのも、まさにこうした考え方によることなのです。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 神棚やお神札はどのようにおまつりするのですか?

    写真:神棚の図神棚は家族が集まる場所に目の高さより上に付け、お神札の正面が南か東を向かうように設置します。
    神宮大麻・氏神神社・崇敬神社のお神札は図のようにお祀りします。(※画像をクリックすると拡大表示されます)
    また、玄関や火まわり・水まわりに祀るお神札もありますので、その場合はそれぞれ然るべき場所にお祀りし、御祈祷した際に受けたお神札は神棚の横にお祀りします。
    家に神棚が無い場合でもタンスや本棚の上などに白い紙などを敷いて、目線より高い場所を清らかにして置いても構いません。
  • 神棚のお供えものや祭器具はどうすればよいのですか?

    写真:お供え物の図通常は米・酒・塩・水をお供えしますが、旬の野菜や果物、お土産や頂き物なども、その都度お供えしてから感謝を込めて皆様で戴きましょう。
    また、盛り付ける祭器具は一般的に白無地の器に三方(さんぽう)と呼ばれる台に置いてお供えしますが、ご家庭にある相応のものでも構いません。(※画像をクリックすると拡大表示されます)
  • 神前結婚式はいつからはじまったのですか?

    結婚式は数多い人生儀礼の中でも、重要な慶事のひとつに数えられており、新たに家庭を築くという意味合いにおいても、意義の深い儀礼であるということができます。
     現在のような神社における結婚式の形は、明治三十三年五月十日、皇室婚嫁令により、当時皇太子であられた大正天皇と九条節子姫(貞明皇后)が、宮中賢所(かしこどころ)大前においてとりおこなわれた御婚儀に、大きな影響を受けています。
     翌三十四年、この御婚儀に基づき定められた次第による神前結婚式が、一般でも日比谷大神宮(現・東京大神宮)において初めておこなわれ、全国各地に普及するようになりました。
     こう説明すると神社における結婚式は、明治時代、新たに創られた儀礼のように受け取られることがありますが、儀礼の内容を見ると、各家庭を式場としておこなわれてきた伝統的な婚儀の形を参考としていることが分かります。
     この形は家庭の床の間に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御神名の掛軸や、自ら信仰する神々の御神名、また縁起物の絵画の掛軸などを飾り、その前に御饌御酒をお供えして祀り、この御神酒を三三九度(酒盃を取り交わす回数を表したもの)により新郎新婦が戴くことで、夫婦の契りが結ばれるという信仰に基づくものです。後に家庭から神社へ式場が移っても、この考えには変わりはありません。
     現在の神前結婚式は、家庭における婚儀の形や礼儀の作法を集大成し、我が国の伝統的な考え方を継承したものということができます。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 三々九度とはどのような意味があるのですか?

    神前結婚式では、新郎新婦が酒盃を取り交わすことによって夫婦固めをなす三三九度と呼ばれる儀式がおこなわれています。
     三三九度とは、酒盃を取り交わす回数を表したもので、酒を一杯飲むことを一度といい、三杯(三度)飲むことを一献として、これを三献、つまり九杯(九度)酒盃を戴く作法をいいます。これは式三献と呼ばれる、平安時代の公家の酒宴の作法として見られたことであり、婚礼以外でも、元服(げんぷく・男子の成人を祝う儀式。十二~十六歳頃までにおこなわれ、大人の衣服に改め、髪を結い、冠をつけた。)などの祝儀においておこなわれていました。
     武家の礼法である小笠原流の婚礼式にもこの作法は見られ、陰の式として白装束を着けて三三九度をおこなった後、陽の式では色の装束を着け、三三九度をおこないます。この詳細は、陰の式では、新婦が初めに一の盃で三度酒を飲み、つぎに新郎が二の盃で同じく三度酒を飲みます。さらに三の盃で新婦が三度酒を飲みます。陽の式ではこの逆に、一の盃が新郎、二の盃が新婦、三の盃が新郎といった順序になります。
     現在の神前結婚式は、我が国の伝統的な婚礼の形を継承したものであるため、三三九度は重要な行事となっております。神社本庁(伊勢の神宮を本宗と仰ぎ、全国の大多数に及ぶ約八万社の神社を包括する団体。)撰定による『諸祭式要綱』では神酒拝載の作法として、まず一の盃では新郎が一度、つぎに新婦が一度飲み、二の盃では新婦、新郎の順にそれぞれ一度飲み、三の盃では新郎、新婦の順に一度ずつ戴くとあります。また付記には正式な作法として、一の盃を新郎、新婦、新郎と一度ずつ飲み、二の盃を新婦、新郎、新婦の順で、三の盃を新郎、新婦、新郎と合わせて九度の酒盃を進める三三九度の作法が記されています。
     丁重な作法により御神酒を戴く三三九度は、婚礼をさらに厳粛なものとするとともに、神々の恩頼(みたまのふゆ・神々の御神慮や天皇の大御心による恩恵を尊んで用いられる語。「みたま」とは霊魂のことで、「ふゆ」とは「殖ゆ」の意味にも通ずるとされ、神々や天皇の尊貴なる「みたま」に触れることにより、御加護や御稜威がますます増進されることをいう。)を戴くことにより、家庭円満と子孫繁栄を願う大切な儀式といえます。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 仏教と神道の葬祭はなにがちがうのですか?

     仏教と神道の葬祭の大きな違いとは、その霊魂観の相違からくるのではないでしょうか。
     仏教における理想とは、出家し、修行を積み重ね、自らの煩悩を捨てて悟りの境地に達し、死後、人間的苦悩である六道(天界・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)への生まれかわりから脱して、涅槃成仏(ねはんじょうぶつ)という状態に至ることをいいます。
     悟りの境地に達し得ない人は、亡くなってから四十九日(中陰)を過ぎると六道のいずれかに生まれ変わり、迷いの生を続けねばなりません。
     このため、仏式葬祭では、仏法の加護で故人が迷わず成仏できるよう御本尊に祈り、四十九日の法要などもこのことが中心におこなわれています。本来、それ以後の追善供養をおこなわないのも、成仏した後、故人の霊魂が現世と隔絶した存在になると考えられているからです。
     これに対して、神道は現世(うつしよ)を第一義に考えています。人が亡くなった後も霊魂は不滅であり、祀られて鎮まった”みたま”は、子孫を見守る祖霊となります。こうした考え方により、葬祭では故人の生前の功績を讃え、遺徳を偲び、その後、祖霊祭(年祭やお盆・お彼岸)では亡くなられた方の”みたま”を丁重にお祀りするのです。そこには、故人の霊魂と遺族との直接的な関係があります。現在、仏教の行事とされているお盆などの”みたま祭り”も、本来は仏教と関係なく、日本固有の祖霊信仰に基づくものなのです。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 神道には仏教でいう盆行事はありますか?

    お盆については、多くの方が仏教の行事と考えているようですが、元来は日本固有の先祖祀りがもとになっています。ところが、江戸時代に入り、幕府が檀家制度により、庶民の先祖供養まで仏式でおこなうよう強制したため、お盆も仏教の行事と誤解されて、現在に至っているのです。
     神道の家庭でも、お盆の期間中は、自宅の祖霊舎を清めて、季節の物などをお供えし、家族揃って御先祖様をお祀りします。
     我が国では、古くから神祀りとともに、御先祖様の御霊をお祀りする祖霊祭祀がおこなわれ、神と祖霊の加護により平安な生活を過ごしてきました。この神とは、自らと繋がりがある御先祖様が序々に昇華して神となった御存在なのです。
     年中行事で、お盆とお正月が二大行事として重視されるのも、お盆が御先祖様を、お正月が神様をお祀りする行事として、いずれも我々と繋がりのある祖霊や神々をお招きするという意味を持つからなのです。
     ちなみに、仏教行事のお盆は、『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典によるもので、仏弟子の目蓮が餓鬼道に落ちて苦しんでいる母親を救うため、釈迦の教えで七月十五日に安居(あんご・修行)を終えた僧侶を百味の飲食(おんじき)を供えて供養したところ、その功徳により母親を含め、七世の父母(七代前の先祖)までを餓鬼道から救済することができたという孝行説話に基づくものです。
     仏教が伝来すると、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事が諸寺院でおこなわれるようになり、当初は僧侶の供養が中心でしたが、その後、我が国の祖霊祭祀と結びついて、御先祖様を祀る「お盆」となりました。
     現在、地域により七月か、八月の十五日前後にお盆がおこなわれますが、いずれにしても、日本固有の大切な「先祖まつり」の時であることに変わりはありません。
    【出典・引用「神道いろは」神社新報社より】
  • 古いお守りやお神札(おふだ)はどうすればよいですか?

    お神札・お守りはいつでもお持ち頂ければお預かりいたします。
    また、毎年一月七日に一年間お守り頂いたお神札やお守りなどを清め祓う、焼納祭を執り行いますので、その頃にお持ちいただいても結構です。
    なお、神棚や人形、置物・絵・古書などの納め物については事前に神社へお問い合わせください。
  • 家を建てる時にはどのようなおまつりをするのですか?

    まず、その土地の神様と氏神さまに報告し、無事に工事の完成を祈念する“地鎮祭”を執り行い、柱立ての際には、無事に工事が進展していることを神様に感謝報告し、“上棟祭”を執り行います。
    そして、工事が完成しましたら、新たに建てた家屋を清め祓い、家族の安全と繁栄を祈念する“新宅祭(竣工祭)”を執り行います。
    その他にもマンション入居や中古住宅、改築・増築などの際にも清祓いをして、住まいに神霊を宿して神様にお守り戴きます。
  • 直会(なおらい)とはどのような意味があるのですか?

    神事の最後に、一同介して神様にお供えした神饌(しんせん)やお神酒(おみき)を戴くことです。
    お下がりしたものを戴くことにより、神様との結びつきをさらに強固なものとして恩頼(みたまのふゆ)(恩恵)を授かる大切な神事の一つです。
  • 参拝する際の作法はありますか?

    神様へ失礼のないようになるべく清楚な服装でお越し頂くことが好ましいです。 心を落ち着かせて日々の自己の反省の念をもち、神様へ感謝の心をもってご参拝ください。
    参拝方法は二拝二拍手一拝(二回お辞儀・二回拍手・一回お辞儀)になります。 詳しい手水・拝礼・玉串の作法については“お願いごと”をご覧ください。
  • 何時から何時まで神社は開いていますか?

    御祈祷受付は9:00~17:30となっております。
    但し上記以外の時間でもご相談いただければご祈祷いたします。お気軽にお問い合わせください。
    なお、正月期間やねぶた期間などは時間が変動いたしますので、その際はお問い合わせください。
  • 神社に休みはありますか?

    日曜・祝日・祭日も関係なく年中無休でご奉仕しております。
  • 神社の場所はどこですか?

    国道4号線沿いにある青森地方裁判所向かいに鎮座し、交差点の角には”廣田神社”の大きな看板があります。詳しくは『交通アクセス』をご覧ください。
  • 専用駐車場はありますか?

    駐車場はございますが、台数が限られておりますので、混み合う正月や厄除け、七五三の時期である2月、10月11月などはお近くの駐車場をお使いください。長島地下駐車場や柳町地下駐車場などが近くにございます。