全国唯一病厄除守護神 廣田神社

社務日誌

茶道の初釜に参加しました。

2011.1.10 -[社務日誌

本日昼前より、本町にある”百代”という日本料理屋さんにて、裏千家 淡交会 奥村社中の各教室の生徒さん並び、ご来賓として茶道の諸先生方が参集して茶事、”初釜”が開かれました。そこで、宮司も生徒の1人として参加してきました。濃茶をいただく   濃茶

初釜とは・・・

新年に入り、初めて開く茶会のことを”初釜”と呼び、ようやく正月の雰囲気が落ち着き始める1月10日前後に開かれるのが通例となっております。

その歴史は、千利休と並んで称される偉大な茶人、津田宗達が永禄8年(1565)の4日に「初風呂」と謳い、お客を招いて開催したとされる茶会から始まったといわれています。

その後、江戸時代に入ると「茶湯始」や「初茶湯」と称して盛んに行われるようになりました。

この初釜ではいくつか約束事もあり、掛け軸には新春を表現したものや、お花には、中心を丸く結んだ床につくほどの長い柳に加え、椿をあしらい飾ります。

掛け軸拝見

また、菓子や茶道具なども新春にふさわしい絵柄や物を使用します。

菓子   釜

今回は、昨年の夏前より新しく発足し、月2回の茶道稽古をしている「婆娑羅組(ばさらぐみ)」の初釜デビューということで私も含め、多くの生徒が参加しました。

そのため、本来の形であれば「待合」、「席入」、「初座(懐石)」、「中座」、「後座(濃茶・薄茶)」の順番で行われるそうなのですが、茶室の広さと30名近くの参加に加え、時間の問題もあり、「待合」、「席入」をして、先に「濃茶」と「主菓子(おもがし)」を茶室にて頂きました。

懐石料理運び

本来は濃茶ではお茶を点てる方の集中力を削がないためにお話はしないで待つのですが、ほとんどの方々が新年初の顔合わせでしたので、ついつい皆さん共々お話をしながら、新年初のお茶を頂いておりました。

薄茶お点前

その後、二階の大広間にて場所を移して懐石料理を頂きました。これも本来であれば、座礼にて床に座って行うのですが、今回は初心者多数(婆娑羅組)な上に、足が悪い方もいらっしゃるので、立礼、つまりはイスに座って行うこととなりました。

本日の懐石料理は先生の指導の下、調理したもので、本格的な懐石料理を食するのは初めてでありました。そのどれもが、見た目はシンプルでありましたが、その見た目とは裏腹に深い味わいを醸しだし、どれもが非常に丁寧に調理されていて大変おいしく頂くことが出来ました。

懐石料理

緊張が解け始めたのか、ついつい、お酒もお話も進んでしまい、笑顔の絶えない懐石となりました。

そして、濃茶は始めに行いましたので、薄茶をその広間にて行うことになりましたので、いよいよ半年の成果を発揮し婆娑羅組の会員1人1人がお茶を点てて、相互におもてなしをすることとなりました。

薄茶 宮司

ぎこちないながらも、目出度きこの日にお茶を点ててお客にお飲みいただくのは大変貴重な体験であり、とても面白かったです。

師匠である先生には「全く触れることのなかったこの茶の湯の世界を知るには、形や作法も大切ですが、まずは茶事そのものを楽しみ親しむという根本的な心をもって日々の稽古に勤しんで下さい。」とのお話を受けていましたので、茶道の稽古はいつも和やかに行われてきました。

広間 茶室

この初釜を通して初心者なりとも茶道の片鱗を垣間見たことでこれからの稽古にも一つ一つ目標をもって励むことが出来そうです。

「心を求めれば形を求め、形を求めれば心を求める」神を祀る心(客をもてなす心)が自分自身の心であり、その心を体現する形を作法として表現することによって最上級の敬いと慎みの心をもって伝えることが出来るという。そのことが、まさしく、神道と茶道に共通して存在する日本の心であると思いました。

その後は例の如く交流会が開かれ、普段お会いすることのない教室の生徒同士楽しくお話いたしました。

交流会