針供養感謝祭を執り行いました。
2011.2.9 -[社務日誌]
先日、青森田中学へ感謝祭の御奉仕に行ってまいりました。
青森田中学園は青森中央学院大学をはじめ短期大学、文化、経理専門学校などの他にも付属幼稚園3校や保育園2校、特別養護老人ホームなどを有するとても大きい法人であります。
こちらでは、毎年針供養の日に感謝祭と称して、各団体で使われている、古くなり使われなくなった道具を持ち寄って供養し、感謝を捧げる神事を執り行っています。
全員ではありませんが、各団体から教員生徒が多数集まり300名近く参列の上行われます。
神事は通常の次第で進んでゆきますが、祝詞奏上後、供養の儀というものがあり、学生代表が針を豆腐に刺して供養するほか、各学校生徒がそれぞれ普段使っている、パソコン、書籍、包丁、ピアニカ、聴診器、シューホン、杖、おもちゃなどを祭壇に供えて感謝を捧げていきます。
その後、学生代表が学校設立当初に先生と生徒で作り、代々受け継がれている感謝の言葉、「お針さんの詩」を読み上げ、幼稚園、保育園の園児等がこの日のために一生懸命練習してきた感謝の言葉を、声を合わせて神様へお伝えをします。
とても元気がよく、長い文章にも係わらずきっちりと暗記して皆さん心を込めて言葉を述べていました。その姿はとても愛くるしく、神事中でありながら、ついつい笑顔になってしまいそうな微笑ましい光景でありました。
そして、最後に「オモチャのちゃちゃちゃ」を園児等が合唱して再度、感謝の気持ちを捧げ、神事に戻り、終了しました。
このように自ら長年使用していたものを、まるでそこに生命が存在しているかの如く敬い感謝を込め、祈念をする姿はとても美しくあります。
今年度、流行った「トイレの神様」の歌でもわかるように、我々の神様というものは決して太古から存在するものや大自然に存在するものだけではなく、生活の中に人間によって生み出されたものにも神様が宿ると考えられています。代表的なところでは竈(かまど)の神様などであり、妖怪といった類も長年使用したものが魂が宿り命を宿すといった種類が多いのはこういった古来より続く八百万の神観念から生まれています。
ですから、今や世界語となった「もったいない」という言葉も、一つの物を大切に使用し続け、壊れた後も、こうして感謝の念を込めて魂を慰霊し、安らかになることを祈願する日本人の美しい心から生まれたのだと思います。
この感謝祭のように小さい子供からご老人までが集まり、ただ式典だけ行い思うだけではなく、しっかりと祭壇を設けて神職が出向して神事を行い、正しい形で神様に感謝をお伝えするということは誠に素晴らしい形であると思います。
青森田中学園、皆様方の益々のご多幸ご健勝を祈念を大神等に祈念申し上げます。
※今回の写真は青森田中学園様よりご提供頂きました。