心の美しさに感動。
2011.5.21 -[社務日誌]
本日、神社宛てに可愛らしい封筒が届きました。
切手を見ると東京スカイツリーの絵が描かれており、その刹那、ふと思いつき、目を凝らしてみると東京の印が押されていました。
ところが、送り主が書いておらず、何だろうかと思いながら封を開けてみると、一通の手紙とお守りが入ってありました。
その手紙には直筆にてこう書かれていました。
「こんにちは。合格祈願を今年させていただいたものです。残念ながら第1志望は落ちてしまったのですが、これからは、私の第1志望だった大学に通っている人に負けないぐらい勉強したいと思っております。3ヶ月間ありがとうございました。」
思わずこの手紙を読んだときに感動を押さえきれませんでした。
昨今、人の痛みを知ることが出来ないため、自分の痛みすら他人に擦り付けようとし、その挙句自らは何もしようとはしない。
また、努力を続ける意味というものも”なんでも平等”という履き違えの名の下に教育が進められ、男と女、親と子供、教師と生徒など本来別けるべき事も全て一緒にし、それをもって1番も2番もない事を平等とする愚拙な思想が横暴している世の中で、この手紙には胸が熱くなりました。
近頃は、神様の御心に叶うよう一抹の努力も向上もしないまま、勝手気ままに祈願しておきながら、願いが叶わないと「ご利益がない」と、神社に対して怒鳴りつけるような、怒りをとおりこして呆れるばかりの人がいる中、高校生ながら、こうして叶わずともそれをバネとして頑張ることを誓い、これまでの感謝の念を込め、丁寧に手紙を書いて神社へお守りを納める心は人の純真な清らかさと美しさを強く感じました。
この方の心は神様の御心にすでに叶っており、祈願が叶うこと以上の幸せを神様が与えるための、この度の試練であったと思います。
このお守りと手紙は御神前にお供えをして必ず、感謝の奉告を廣田大御神様にお伝え申し上げます。
今回、この手紙を掲載するかどうか迷いましたが、住所が書かれておらず御神前にお供えして神様に申し上げた事を、お伝えすることが出来ない事に加え、その思いに感動し、今心の充実が足りない人たちに、少しでも心の持ち方というものの、指針になればと思い、紹介するに至りました。
神様の御心に叶うべきは自らの心を安らかに清らかに誠実であることが大切であります。