合格祈願のお礼参り祈祷のお話
2012.4.9 -[社務日誌]
先日、医師国家試験の合格祈願のお礼参り祈祷がありました。
祈願されたご家族は以前に息子さんの医学部の合格祈願を受けにこられ、試験日まで毎週祈祷を受けに来られていました。
それに加えてお父さんは出勤前に必ず毎日お参りに来て熱心に祈っておられました。
試験後は中々お会いすることが出来なく結果を知る由は無かったのですが、ある時、電車を乗り過ごしてしまい次に乗った電車にて偶然にもご家族とお会いすることがあり無事合格されたことを聞くことが出来ました。
合格後も度々神社にお参りされていたそうなのですが、宮司の姿を見かけることが無かったので、報告することは出来なかったそうです。
ただ、きちんとお礼をしたい為、どのような形で神様へお礼参りをしたらよいかというお話になりましたので、合格祈願同様、祝詞でしっかりと廣田神社の神様へ報告申し上げ、玉串を捧げて感謝の気持ちをお伝えした方が良いですよという旨を教えました。
すると、程なくしてお礼参り祈祷の予約が入り、ご家族揃って昇殿し神様へ感謝の念をお伝えしていました。
その後一年近く経つと次は娘さんの医師国家試験の合格祈願に毎週いらっしゃいました。
前回の息子さん同様、お父さんは毎日お参りに来られ真摯に祈っておられました。
当たり前ですが試験結果をこちらから聞くということはありませんので、どうなったものかと思いつつ過ごしていましたが、暫くしてお礼参り祈祷の予約が入り、ご家族揃って祈願に来られその際に合格したことを教えて頂きました。
息子さんの時も娘さんの時も、祈祷の最中には頭を下げてひたすら手を合わせて祈っておられ、お礼参りの祈祷でも心より感謝の気持ちを捧げて拝んでおり、その姿は大変美しいものでした。
最近は、ただ祈祷を受けてそれっきり。それで願いが通じると思っている方が多いように感じますが、果たしてそのような軽薄な祈りで神様の御心に本当に叶うのでしょうか。
例えばどんな優秀な営業マンでも一度の訪問で信頼されるのではなく、何度も足しげく通ってはじめて本当の信頼を得られるはずです。
そのように祈りとは誠心に”祈り続けること”にあり、達成した先にも謙虚な気持ちをもって感謝の心を常に忘れないでいることが大切で、そこではじめて神様の御心に叶うかどうか裁量されるというものであります。
このような言葉もあります。
北畠親房 「不正の祈祷は天地与せず 非礼の報賽は享けず」
お参りやご祈祷する前に自分の心を見つめて敬虔な姿勢をもって祈願されることが神様の御心に叶う大事な要因の一つであります。
廣田神社では他にも体調が良くなっていく方、精神が落ち着いていく方、良い方向に運命が向かっていく方は、皆さん毎月祈祷を受けたり毎日お参りをし定期的に祈祷を受けている方が多数です。
そのような様子を見ていると本当の祈りが見えてきます。