全国唯一病厄除守護神 廣田神社

社務日誌

端午の節供です。

2012.5.5 -[社務日誌

本日は五節句の1つである端午(たんご)の節供(せっく)です。

端午の語源は諸説ありますが、もともと「端」は「初め」、「午」は「午の日」の意味があり、月初めの午の日を端午としていました。

そのため、古くは5月5日ではなく違う月にも行われており、いつからか「午(うま)」を「ご」と読み、数字の「五」にかけて5月5日が端午の節供とされるようになっていきました。

大鎧

5月は古くから物忌みの月とされ、「さつき忌み」と称し、田植えが始まる際に外界を離れ心身を祓い清めた早乙女が、田の神様を迎えるという慣わしがありました。

それが、平安時代になると月と日が重なる日を吉日としてお祝いするようになり、それと同時に人形や菖蒲酒をもって邪気を祓う習慣が大陸から伝わってきました。

そうした風習が、徐々に邪気を祓う菖蒲を尚武(勝負)と語呂をかけて勇ましさの象徴である武者人形を飾ったり、鯉が龍へと変貌する伝説に出世の縁起を担ぎ鯉のぼりを立てたりすることで、子どもが逞しく健康にあるようにと祈願され、男の子の日としてお祝いされるようになりました。

男の子人形と鯉のぼり

現在では自宅に武者人形を飾り鯉のぼりを立てて、家族揃って着飾りお祝いをした後、神社へお参りをし健康を祈願します。

また、生後初めて迎える初節供(男の子5月5日、女の子3月3日)では神社で祈願した後、赤飯やちまき、柏餅など祝い物を用意して親戚・知人が一同に会して振る舞うのが慣わしとなっております。

こうした行事を大切にすることで家族・親族間の絆が一層に深まていきます。こうした伝統行事は只のイベントではなく、そこには先人等がいつの時代でも幸せを願って連綿と受け継がれてきた知恵と文化が存在しているのです。