全国唯一病厄除守護神 廣田神社

社務日誌

進藤庄兵衛正次翁頌徳祭の神幸祭(神輿・ねぶた渡御)を執り行いました。

2013.7.17 -[社務日誌

本日、青森開拓の一大恩人、進藤庄兵衛正次翁頌徳祭の前夜祭並び神幸祭(しんこうさい)が執り行われました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

昨年に引き続き、進藤庄兵衛正次翁頌徳祭の前夜に、神輿とねぶたの渡御(とぎょ 練り歩くこと)を行う、神幸祭を執り行いました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

古来、廣田神社における神幸祭は、春に忌籠祭(いこもりさい)、秋に御蔭祭(みかげさい)というお祭りがあり、青森湊の浜に仮のお社を建て、神輿行列の渡御を行い、その仮屋にて夜通し忌籠りながら、農漁業などの生産発展を祈念するお祭りが盛大に行われていました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

ところが、度重なる飢餓飢饉によっていつしか中断し、その伝統も失われ、以来、神様がお出ましになる神幸祭は数百年以上に渡って行われることはありませんでした。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

しかし、平成8年の御鎮座一千年の奉祝事業において神輿が新たに奉納され、稚児行列と共に渡御が行われました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

ただ、残念ながらも奉祝事業としての神事であったため、一度きりとなり、神輿は社殿に眠ったままとなっていました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

そこで、来年の進藤庄兵衛正次生誕400年の佳節に向け、神輿を再興し、青森の伝統芸能であるねぶたを附祭りの御供として引き連れ、昨年より神幸祭を行うことになりました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

400年前に生を授かり、青森のグランドデザインを描いて町を造成した進藤庄兵衛が、幾百年の時を超えて神輿に鎮まり、再び町の繁栄と人々の安寧を守るためにお出ましになりました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

囃子は毎年例大祭で奉納演芸いただいている「龍鼓会(消防二分団・アサヒビール)」さんにご奉仕頂き、長島小学校親父の会さんには庄兵衛ねぶた引きと跳人、古川地域ねぶた実行委員会さんには古川地域ねぶたの引きをしてご奉仕頂きました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

昨年よりも跳人として参加する子供も多くなり、夜の街中に賑やかな囃子と子どもの掛け声が響きました。

権現様(獅子頭)も徐々に周知され、初穂料を納めた人々が子どもの鳴き声や大人の笑い声が連なる中、権現様に噛まれて無病息災の祈念をしておりました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

また、今年から先導役として猿田彦大神の所役も加わりましたが、子供に「天狗さん天狗さん」と声をかけられたり、写真を一緒に撮ったりと大変人気で、好評を博していました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

夜に行われる関係上、今年からは神輿をライトアップしましたが、その堂々たる威厳にねぶたとはまた違った雰囲気を醸し出していました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

今回も昨年同様に、ご本殿より廣田大神様のご神体の代わりである「御(ぎょ)」を神輿にお遷し、更にそこから御分霊をねぶたに遷して渡御を行いました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

神輿やねぶたをただ運行するだけなら、祭りを謳っていても、そこには何も祀られていない空虚なまつり、つまりイベントとなってしまいます。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

本来の祭りはそうではなく、神事をしっかりと執り行い、今回であれば、先に述べた庄兵衛の遺功と威光を人々に分け伝えるべく厳粛に行われることが大切なのです。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

今年も滞ることなく全行程を神幸する事が出来ました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭

終了後は御神酒を頂きながら小直会が行われ、明日の頌徳祭に向けて心身を清らかに夜の帳を下し、終了しました。

進藤庄兵衛正次翁 頌徳祭 神幸祭