久伊豆神社の南洋神社鎮座跡地遥拝殿に参拝しました。
2017.2.21 -[社務日誌]
平成29年2月16日に埼玉県越谷鎮座、久伊豆神社の南洋神社鎮座跡地遥拝殿に参拝しました。
昨年2月にパラオ共和国にてい慰霊祭を斎行してから様々な場所でお話しさせていただく機会もあり、慰霊祭後もパラオ共和国について調べていました。
その中で、南洋群島に中心地に鎮座し最も尊い神社であった南洋神社について調べていくうちに久伊豆神社に南洋神社鎮座跡地遥拝殿という神社があることを知り参拝させていただくことになりました。
大変忙しい中にも関わらず、宮司さん直々にお話しをしてくださり、南洋神社だけではなくパラオ共和国と日本との関係など様々教えて頂きました。
こちらの南洋神社鎮座跡地遥拝殿は久伊豆神社本殿う斜め後方に鎮座しています。
以下、久伊豆神社ホームページから説明の転載です。
南洋神社は、南洋群島の中心地パラオ(現パラオ共和国のコロール島)に昭和15年2月11日、皇紀2600年に際して、昭和天皇の格別の思し召しにより創立された神社です。その御祭神を「皇祖天照大神」一座とする官幣大社であり、我々神社人が「本宗」と仰ぐ伊勢の神宮の「南洋における分社」ともいうべき神社です。その後、昭和20年8月の終戦によって、御社殿は御焚き上げとなり、神社の祭祀は終結、社殿跡地が残るのみとなりました。しかし、創立以来、南洋の地で開拓・入植に励んだ方々が、また戦時下、アジアの解放と大東亜共栄圏の実現を信じて、遥か遠く故郷を離れて南方の戦地へと赴いた部隊・兵士たちが篤い祈りと誓いを捧げられた事実は永遠に消滅するものではありません。 伊勢の神宮と旧南洋神社との御神縁・御神慮を拝し、神宮当局の御指導・御協力を賜って平成16年4月11日久伊豆神社境内に「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」を建立いたしました。この遥拝殿は、氏子・崇敬者共々遥かに、幾多の兵士の最期の祈りと誓いをお受けになった大神様の御霊を和め、遠く故国を離れた南洋の地に散華された英霊への感謝と慰霊・鎮魂、功績顕彰の誠を致す御殿です。
とても立派な社殿で荘厳な雰囲気の中、玉串を奉り拝礼させていただきました。
こちらの社殿では宮司さんの御子息である権禰宜さんがご案内してださいました。
今月2月28日から3月5日まで再び慰霊祭と南洋神社についての調査でパラオ共和国に渡りますが、沢山の手がかりを得ることができました。
何故、パラオ共和国に南洋一の大社が創建され、今は廃祀されてしまっているのか、しっかりと調べて沢山の方に報告する機会をつくりたいと思います。
久伊豆神社宮司様ありがとうございました。