例大祭が執り行われました。
2017.6.25 -[社務日誌]
平成29年6月20日に一年で最も重要な神事である例大祭が執り行われました。
廣田神社の宵宮は雨が降るというのが昔からの言い伝えですが、今年は宵宮、例祭ともに晴天の気持ちの良いお祭日和となりました。
所定の時刻となり、ご奉仕頂く東青管内の神職と共に整列して参道をゆったりと歩き祭典が開始となりました、
昨夜に続き責任役員、総代、氏子町会長、世話人、各崇敬団体の方々が参列して執り行われました。
神様に捧げる神饌であるお供え物も祭式行事作法に則り、一台一台しっかりと御神前へ奉りました。
昨夜の賑々しい境内の雰囲気とは一変、お参りに来られる方の鳴ら鈴と拍手だけの昨日とは趣の違う静寂な中での神聖なご奉仕でした。
国の隆昌、皇室の弥栄、世界の共存共栄、そして氏子皆様の多幸を祝詞に込めてしっかりと奏上いたしました。
宮司を始め、参列者も玉串に願いを込めて大切に神前へと奉り、深く拝礼をしていました。
例祭には昨夜も奉納演芸で巫女舞をして頂いた阿佐ヶ谷神明宮の巫女さんにも参列頂きともに玉串を捧げてくださいました。
玉串拝礼の後は津軽神楽の奉納となり、東青支部管内の神職さん方による奉奏となりご神前に捧げられました。
県無形重要文化財 津軽神楽奉納
津軽藩主四代目の津軽信政公は神道を極めたお方でしたが、宝永七年(一七一〇)に六十五歳で没し、岩木村(現・弘前市)高照霊社(現・高照神社)に祀られました。
その頃、藤崎村の堰神宮(現・堰神社)の神主、堰八豊後安高は信政公の遺徳を偲び故人の神意に叶うような神楽を献上すれば神道宣揚の一助になると考え、正徳二年(一七一二)に藩命を受けて江戸や京都に赴き各藩の神楽を研究しました。正徳四年(一七一四)に帰藩し、弘前東照宮の神主、山辺丹後の協力を得て研鑽し、まとめ上げた御神楽を高照霊社に奉献したのが津軽神楽の始まりとされています。
その後、藩主より各神社で奉納することを許されましたが厳格な定めが設けられ、現在に於いても口伝によって社家(神職の家柄)のみに伝承される格式高い御神楽となっています。
神入舞
御神楽を奉納するにあたり舞座を祓い清めるために行う舞。御神歌と共に舞が行われる。
磯浪
火遠理命(山幸彦)が釣り針を海中に失った時、矛で藻を掻き分けて探し出し、海神宮へ案内した綿津見神の舞で、面を着けた一人舞。
千歳
別名「翁の舞」とも言われ、初期の天皇五代に仕えた武内宿禰が君(天皇)の千歳を寿ぎ祝い奉った古事に由来する舞。天下泰平の祝意を祈念している。
滞りなく今年も津軽神楽三番の演目が奉納されました。
昨年に引き続き磯浪という演目では宮司自ら舞を奉納いたしました。
最後に宮司よりお話があり、恒例の集合写真撮影となりました。
滞りなく終えた喜びで、皆さんとても良い笑顔でうつっていました。
神事終了後は廣田会館に移動して直会となりました。
改めて宮司からのあいさつの後、総代長の乾杯の発声ではじまりました。
新しく神社に来られた人達も参列して直会に参加して下さいました。
天気も良く、皆さんも御神酒がよくすすんでいました。
阿佐ヶ谷神明宮の巫女さんも直会に参加してくださったので、自己紹介をして頂きました。
東京からのお客さんに皆さんとても喜んでいました。
今年も氏子崇敬者同士、また、神楽奉仕者の神職の皆さんと様々語らいながら例大祭が無事終えた喜びを分かち合い盛況裡の内に終了しました。
来年も滞りなく斎行できるよう神職総代一同奉仕に尽くしていきたいと思います。