例大祭が執り行われました。
2018.6.25 -[社務日誌]
平成30年6月20日に一年で最も重要な神事である例大祭が執り行われました。
雨が心配されましたが、昨夜の前夜祭、宵宮に引き続き降る事無く、参進から斎行することがが出来ました。
当神社神職が先導のもと東青支部津軽神楽保存会の神職の方々が続いてはじまりました。
昨夜に引き続き、責任役員、総代、氏子町会長、世話人、各崇敬団体の方々が参列して執り行われました。
例大祭はその神社における最も大切な神事であるため、神様にお供えする神饌も祭式行事作法に則り、一台一台丁寧に御神前へ奉りました。
昨夜の賑々しい境内の雰囲気とは一変、お参りに来られる方の鳴らす鈴と拍手だけが鳴り響く静寂神聖な中、一心いに仕え奉りました。
国の隆昌、皇室の弥栄、世界の共存共栄、そして氏子皆様の多幸を祝詞に込めてしっかりと奏上いたしました。
宮司を始め参列者も玉串に願いを込めて大切に神前へと奉り深く拝礼をしました。
そして、東青地区各神社の神職によって津軽神楽が奉納されました。
県無形重要文化財 津軽神楽奉納
津軽藩主四代目の津軽信政公は神道を極めたお方でしたが、宝永七年(一七一〇)に六十五歳で没し、岩木村(現・弘前市)高照霊社(現・高照神社)に祀られました。
その頃、藤崎村の堰神宮(現・堰神社)の神主、堰八豊後安高は信政公の遺徳を偲び故人の神意に叶うような神楽を献上すれば神道宣揚の一助になると考え、正徳二年(一七一二)に藩命を受けて江戸や京都に赴き各藩の神楽を研究しました。正徳四年(一七一四)に帰藩し、弘前東照宮の神主、山辺丹後の協力を得て研鑽し、まとめ上げた御神楽を高照霊社に奉献したのが津軽神楽の始まりとされています。
その後、藩主より各神社で奉納することを許されましたが厳格な定めが設けられ、現在に於いても口伝によって社家(神職の家柄)のみに伝承される格式高い御神楽となっています。
神入舞
御神楽を奉納するにあたり舞座を祓い清めるために行う舞。御神歌と共に舞が行われる。
磯浪
火遠理命(山幸彦)が釣り針を海中に失った時、矛で藻を掻き分けて探し出し、海神宮へ案内した綿津見神の舞で、面を着けた一人舞。
宝剣
天孫(天照大神の孫)である瓊々杵命の降臨に際し猿田彦命が先導を勤め、最後に剣を献上する様を表した舞で、天狗の面を被り行われます。
滞りなく今年も津軽神楽三番の演目が奉納されました。
今年は違う演目の予定でしたが、神楽奉仕の神職が急病になってしまい、昨年に引き続き磯浪という演目で宮司自らが舞を奉納いたしました。
神事終了後は宮司よりお話があり恒例の集合写真撮影となりました。
滞りなく終えた喜びで、皆さんとても良い笑顔でうつっていました。
撮影後は廣田会館へ移動して直会となりました。
神社の場合、神事のあとに行われるのは懇親会ではなく、神事の緊張状態から直り合い、神様の御神德を頂くお供えものを皆で頒ち合い体に宿す大事な儀礼であります。
ですから、神職の研修では食前・食後感謝という和歌をうたってから頂いています。
また、当神社の舞姫会でもその和歌をうたってから必ずお菓子を食べていたため、大人の私達が奉仕する神事でも行うことにしました。
はじめての方が殆どでしたが、上手にうたい、神様の恵みを戴くことができました。
昨日今日と、盛況のうちに斎行され、皆さんとても楽しそうに親睦を深めていました。
今年も氏子崇敬者同士、また、神楽奉仕者の神職の皆さんと様々語らいながら例大祭が無事終えた喜びを分かち合い盛況裡の内に終了しました。
来年も滞りなく斎行できるよう神職総代一同奉仕に尽くしていきたいと思います。