全国唯一病厄除守護神 廣田神社

お知らせ

【熊除祭 御神札頒布のお知らせ】

2026.5.17

熊除祭について

近年、青森市では熊が山から里へと現れ、ついには市街地にまで出没する事例が相次ぐようになりました。

かつては、津軽半島において絶滅したものと思われるほど熊との接触が少なかった地域でありましたが、ここ数年、冬眠から覚める春になるたび熊による被害への不安が広がり、人々の日常や安心して暮らす営みが脅かされる状況となっています。

しかし、熊と人との関わりは今に始まったものではありません。

『弘前藩庁日記』には、元禄8~11(1695~1698)年の4年間、「駒籠山」周辺でクマに襲われて負傷するだけではなく、行方不明や死亡したとの記録が残されています。いずれも山菜採りなどで山へ入った際の出来事であったと伝えられます。

対策として足軽による鉄砲撃ちを派遣しましたが全く成果は上がらず、狩猟に長けたマタギ、さらに今別地域に住んでいたアイヌへ駆除を命じました。アイヌは毒矢を用いた仕掛け弓や槍により駆除にあたり、その歴史が記録として残されています。

実は、人と熊との境界は、古より常に揺らぎ続けてきました。


荒ぶる神の化身  日本神話の“大熊”

『古事記』には、後に初代天皇となられる神武天皇が即位する以前、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)が熊野へ向かう途上、「大熊」が現れたと記されています。

一行は大熊の毒気によって気を失い倒れ伏しました。そこへ熊野の高倉下(タカクラジ)が霊剣を携え現れ、その太刀によって荒ぶる神の力は鎮められ、人々は再び目覚めたと伝えられます。

この霊剣は「布都御魂(フツノミタマ)」と称えられ、現在は 石上神宮 に祀られています。

神話において熊は、単なる獣ではなく、人知を超えた荒ぶる力の象徴として描かれてきました。


熊除祭に込める祈り

熊は、人に害をなす存在である以前に、古来より畏れ敬われてきた山の主であり、荒ぶる神の化身とも考えられてきました。

熊除祭では、その荒ぶる御魂に対し、かち合うことなく除け、ゆくりなく遭遇することがあれば襲われることなく退き、安全を守る人々にあっては怪我や事故なく使命を全うし、祟ることなく御魂が鎮まるよう祈りを捧げます。

また、人と熊がお互いの領域を侵すことなく、街は街として、山は山として、それぞれの場所で命を繋ぐことを願います。

熊には山に食料となるブナの実をはじめ豊かな糧が満ち、人には自然への畏れと節度が保たれ、互いが共生できる世となることを願い奉ります。


熊除祭 斎行について

当神社では、熊による災いを除け、人々の平穏な暮らしと安全を祈るため「熊除祭」を斎行いたします。

祭典では、熊との不要な遭遇を避け、地域の安全が守られるよう祈願するとともに、荒ぶる御魂が鎮まり、人と自然との境界が保たれることを祈念いたします。

併せて、各家に熊除の御守護を賜りますよう、御神札を頒布いたします。

御神札は玄関上部に外へ見えるよう貼ってお祀り下さい。

無事に一年お過ごしされましたら感謝の心を込めて返納し、お気持ちを賽銭箱へお納めいただければ幸いです。

尚、御神札の図は当神社に奉納されたアイヌ絵馬である「熊狩之図」の一部です。


廣田神社所蔵「熊狩之図(写真/復元図)」

当神社には「熊狩之図」と呼ばれる、宝暦9(1759)年に小玉貞良によって描かれたアイヌ絵の絵馬が、越後屋五郎右衛門より奉納されています。

アイヌ民族が猛獣であるクマを毒矢の一撃で仕留める様子が描かれており、当時の狩猟文化や信仰を伝える貴重な歴史資料とされています。現在奉納されているものは復元図であり、本来のものは昭和20(1945)年の青森空襲によって焼失しました。

ただし、焼失前の白黒写真は 函館市立博物館 に残されています。

郵送お申し込み

東北各地でも熊による被害が発生している状況を鑑み、郵送でも承ります。

尚、送料は当神社で負担いたします。

廣田神社HPの問い合わせフォームより、ご用件欄に下記を記載のうえ送信ください。

【熊除御神札を希望】

御神札はお一人につき、一体となります。
こちらは玄関の上部に外から見えるようにお貼りいただきお祀りください。

無くなり次第終了となりますので、予めご了承ください。